福島第一原子力発電所


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福島第一原発 ライブカメラ

JNNが東京電力福島第一原子力発電所の山側に
設置した放送用高感度HDカメラからの映像
 
 
 
 
 
 
 
 
放射線量 @ 福島県 飯舘村

福島県飯舘村から放射線測定を中継

 
 
ふくいちライブカメラ
福島第一原子力発電所構外の展望台から見える発電所の風景を、一定感覚で撮影し提示しているライブカメラ。
 
 

福島第一原発の報告(東京電力発表)

東京電力発表 プレスリリース

福島第一原発 画像  情報:東京電力

福島第一原子力発電所 1号機
福島第一原子力発電所1号機 2011/4/10撮影
2011/4/10撮影
 
福島第一原子力発電所 3号機
福島第一原子力発電所3号機 2011/3/21撮影
2011/3/21撮影
 
福島第一原子力発電所 3号機
福島第一原子力発電所3号機 2011/4/15撮影
2011/4/15撮影 原子炉建屋屋根
 
福島第一原子力発電所 4号機
福島第一原子力発電所4号機 2011/3/16撮影
2011/3/16撮影
 
福島第一原子力発電所 敷地内
津波到着時1
福島第一原子力発電所敷地内、津波前 2011/3/11撮影
2011/3/11撮影
 
福島第一原子力発電所 敷地内
津波到着時2
福島第一原子力発電所敷地内、津波後 2011/3/11撮影
2011/3/11撮影
 

 
 



 
 


 

福島第一原子力発電所
 

 福島第一原子力発電所とは福島県双葉郡の大熊町と双葉町にまたがる地域に所在する原子力発電所である。東京電力の施設であるが、福島県は東京電力の事業地域ではない。
略称は1F(いちエフ)。
 2011年(平成23年)3月11日、東日本大震災の一部としておこった事故はその深刻さゆえに国際的な注目をあつめることとなった。
公式ホームページ
 
立地調査と用地取得
 
 1950年代末頃の福島県は高度経済成長の波に乗り遅れ、産業近代化率も全国平均の270%と比較して126%と低位であった。このため福島県は産業誘致のため電源開発に努力していたが、エネルギー革命により常磐地区の石炭産業が斜陽化したため、新たなエネルギー源を模索していた。福島県は1960年に日本原子力産業会議に加盟し、原子力発電事業の可能性について調査を実施、県内の海岸地帯が小名浜、相馬地区を除き単調、人口希薄、30m程度の断崖になっていたため適地があると判断し、下記の3か所を選定した。
 ・大熊町、双葉町にまたがる地点
 ・双葉町
 ・浪江町

 県が提示した調査結果ではいくつか不足の点があったため、東京電力は追加調査を県に依頼し、大熊町に原子力発電所を建設する意向が内定した。大熊町の当該地は元々旧日本海軍の飛行場跡地(長者ヶ原陸軍飛行場とする記述も見られる)を民間に払い下げた経緯があり、高さ30m余りの断崖で、戦後、国土計画興業が製塩のための塩田として広大な敷地を買収していたが、製塩事業は調査時点では終了していた。また、残りの予定地もまた民有地だったが、一部が農地として使用されていた程度であり、残余は山林原野であった。

 東京電力は調査を進展させつつ、大熊、双葉の地元自治体に接触したところ、両町議会共全員賛成で発電所誘致を陳情した。
1964年に入ると用地買収交渉が開始され、沖合い800mに防波堤を建設して冷却用の海水を取水する計画となっていたため、漁業権、更には予定地に存在する鉱業権などについても取得の必要があった。また、この工事に際して国道6号線から発電所までのアクセス道も当時の国道並に拡幅された。

この後、更に予定地として30万坪が追加され、全体では90万坪の敷地が用地買収されることになった。買収価格としては付近の国道6号線の用地買収時に算定した価格や飛行場跡地を払い下げた時の計算を元にした価格が提示されたが、地権者からは低すぎるとの声があり、若干の金額をプラスして再度価格を提示し、個別交渉の末1964年7月には最初の60万坪については交渉を妥結、追加の30万坪についても農家が9戸ほど存在したが目立った反対運動はなかった。この時点で、4基程度の原子炉設置が計画されていたが、福島県の見込みとしては敷地の広大さから8基程度の建設が可能と考えていたことが記述されている。

 なお、このような僻地に発電所を設置したのは当時の日本の原子力発電所設置の考え方として「万一の原子炉設備の破壊事故により放射性物質の大気拡散時に周辺公衆に重大な災害を及ぼさない」ため「発電所敷地を高い人口地帯から出来るだけ離すことを必要」としたからであった。


 

災害の想定
 
 整地面レベルを決定する際、通常のプラントでは建屋設備の配置、建設作業に必要な用地を経済的に造成できることが必要であるが、原子力発電所の場合はそれに加えて、当時から次の点を考慮していた。
 高潮、津波への危害を回避すること
 原子炉建屋の設置に適する場所であるかの検討(耐震性、岩盤支持の問題)

高潮、津波対策としては土木的には下記の2種の方法が挙げられている。
 整地面レベルを高く取る
 防潮堤、防波堤を構築する

 しかし、防潮堤、防波堤の構築は当時信頼度の点から好ましい手段とは見なされていなかった。そのため、整地面レベルの決定に際しては、「過去の記録あるいは何らかの科学的推論にもとづく最大の高潮や津波時の海水面レベルの上昇の想定値に多少の余裕を与えて」最低の許容レベルが決定された。岩盤支持の問題も考慮すると地下1階式のマークIのような標準プラントでは、東芝レビューによれば整地面レベルから10m程度掘り下げたところに岩盤があるのが望ましいとされ、実際には1号機の原子炉建屋で整地面より14mほど掘り下げられた。
 
 それでも小規模な港と防波堤が建設されたのは次の理由からである。復水器冷却用水の取水法を検討した際、海底パイプライン、海底隧道、桟橋、港湾の各方式を比較検討し、最も経済的であり、且つ建設資材や運開後の燃料搬入にも使用できる港湾方式を採用した。
なお、港湾方式による取水は在来の東京湾岸の火力発電プラントにおいても多用されている方式でもあった。また、重量物搬入の面が重視された背景には軽水炉特有の事情も影響していると言う。つまり、当時の一般火力に比較しても蒸気条件が低いため、圧力容器、タービン、発電機のいずれもが大型とならざるを得なかった。圧力容器を例に取ると1号機で重量440t、直径約5m、高さ約19mであり、厚肉のため現場溶接は不可能であった。このため、後述のように防波堤を港湾周囲にめぐらす工事が実施された。
なお、物揚場バース長は170mである。
 


 
防波堤
 
 海象調査や近隣地点のデータ検討の結果、設計波高として、6.5m(1/3有義波、周期16秒、波向東北東)と決定した。防波堤の平面形状については電力中央研究所に依頼して問題点の把握に努めたという。このため、中央研究所で平面縮尺100分の1、二次元実験36分の1の模型実験(防波堤の波浪遮蔽効果実験等)が実施された。防波堤設計に当たっては日本港湾コンサルタントの助言も得ている。

 防波堤の設計に当たっては、取水口開渠内の最大波高が50cm以下になるように計画し、南北2本の防波堤で波浪を防ぎ、この防波堤を超えた波については取水口周辺に設けた東防波堤によって防ぐものとした。建設する港については3000トン級の船舶が入港可能なように、港口幅100m、港内泊地の水深6mを確保している。防波堤外には波消用にテトラポッドを投入した。
 北防波堤天端高:O.P.7m
 南防波堤天端高:O.P.5m
 
 





 
 

7、8号機の増設計画の経緯と中止
 
 元々本発電所の敷地は広大で、上述のように8基程度の炉を設置することが可能と見られていた。1990年代初頭には、双葉町議会で増設誘致決議がなされ、7、8号機の増設が計画された。環境影響評価書は2000年12月に提出された。

 2000年代に入ると東京電力の設備投資額は1993年の1兆6800億円の3分の1あまりの水準で推移しており、2010年に出されたリリースによれば本発電所の増設を織り込んだ2010年度からの経営計画でも往時の半分程度、年7800億円程度であった。2010年時点での計画としては東通原子力発電所での増設計画や本発電所での高経年化対策と合わせて、2019年に原子力発電比率を48%まで高める計画を立てていた。なお7号機からは改良型沸騰水型軽水炉を予定していた。

しかし、上述の通り事故の影響で2011年5月20日の取締役会にて中止を決定した。佐藤雄平知事は「当然の結論」とのコメントを出した。大熊町の渡辺利綱町長はやむを得ないとしながらも「雇用の確保で原発が果たしてきた役割は大きく、長期的な町づくりに影響が出ることは間違いない」と述べ、浪江町の馬場有町長は住民感情を理由として5、6号機の廃炉も提言している。
 


 
新潟県中越沖地震への対応
 
 新潟県中越沖地震により、東京電力の柏崎刈羽原子力発電所が被災した。この地震で得られた知見を反映するため、東京電力は下記のような対策を進めており、東北地方太平洋沖地震直前の2011年1月時点では次のような進捗となっていた。しかし、福島第一原子力発電所事故は工事完成前に発生したため、免震重要棟など役立った処置は一部に留まった。

 ・免震重要棟設置(2010年7月運用開始)
   災害発生時等に発電所の対策本部を設置するため建設
 ・消火配管の地上化(2010年4月完了)
   地中に埋設していた消火配管を地上に移設し、地震による損傷の軽減を図った
 ・防火水槽の設置(2009年2月完了)
 ・消火栓のバックアップとして設置
 ・ドラム缶転倒防止処置(2008年2月完了)
 ・変圧器基礎地盤の沈下対策(2014年完了予定)
 ・変圧器の油漏えい対策(2014年完了予定)
 ・非常用海水系配管ダクト廻りの地盤改良(2010年12月完了)
 ・重要施設近傍等の斜面対策(2010年11月完了)
 ・耐震裕度向上のための、非常用空調設備・非常用電気機器・電路・配管のサポート工事(実施中)
 


 
主なトラブル
 
 下記は報告された大きなトラブルであり、小規模な事故は建造当初から発生している。
 
1976年4月2日 2号機事故
 構内で火災が発生したが外部には公表されなかった。しかし田原総一朗に宛てた内部告発により事故の発生が明らかになり、告発の一か月後東京電力は事故の発生を認めた。東京電力は「溶接の火花が掃除用布に燃え移った」と説明したが、実際にはパワープラントのケーブルが発火し、偽装のため東京電力社員がダクトの傍でボロ布を燃やしたという噂が下請社員間で流れた。

1978年11月2日 3号機事故
 日本で最初の臨界事故とされる。この事故が公表されたのは事故発生から29年後の2007年3月22日になってからであった。

1990年9月9日 3号機事故
 主蒸気隔離弁を止めるピンが壊れた結果、原子炉圧力が上昇して「中性子束高」の信号により自動停止した。INESレベル2。

1998年2月22日 4号機
 定期検査中、137本の制御棒のうちの34本が50分間、全体の25分の1(1ノッチは約15cm)抜けた。

2000年7月 1~6号機
 過去の自主点検検査記録などのデータ改ざんが行われていたことが原子力安全・保安院への内部告発により発覚し、2002年には東京電力もデータ改ざんがなされていた事実を認め、社長南直哉等当時の首脳陣が引責辞任した(東京電力原発トラブル隠し事件)。

2010年6月17日 2号機
 電源喪失・水位低下事故。3号機にプルサーマルを導入しようとした矢先、2号機で冷却機能不全になる事故が発生。

2011年3月11日 1・2・3号機
 2011年3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震とその地震による津波で、外部からの電源と発電所内の非常用ディーゼル発電機による電源の双方を失う「全交流電源喪失」状態に陥り原子炉の冷却機能が失われたため、炉心溶融等により大量の放射性物質が放出された。原子力安全・保安院による暫定評価は最悪のレベル7。

 
 
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